迷子のなすび

転職活動迷走中

転職活動迷走中 目的について考える

 転職活動を始めてみて、考えれば考えるほど、自分のやりたいこととか、何をしたいのかとか、よくわからなくなっている次第です。

 なので、今回は「なんで転職するのか」「転職してどうなりたいのか」を考えていきたいと思います。

 何事も順番にね。

 混乱している時こそ、原点に戻って一つずつ紐解いていくべきよ。

 

〇なんで転職するのか

 転職をする、と決めた理由。決意したきっかけ。

 いろいろあるけど、これをまとめなければ、次に進めない。

 

 手順としては「理由を書き出す→具体的に考える→結論を出す」にしようと思います。

1.理由を書き出す

 ・職員に対する不信感がぬぐえなくなったから

 ・もう介護をやめたいから

 ・そもそも認知症患者とかかわりたくない

 ・度重なるピンチヒッターがしんどかったから

 ・猫ときちんと関われなくなってきたから

 ・今のままだと、近い将来また死にたくなるだろうと思ったから

 

2.具体的に考える

 ・職員に対する不信感 → NSの高圧的な態度、一点二転し介護士を無視して決定、進行してしまうことが常態化してきている。 介護職の中に、新人をパワハラする人がいる。新しく決めたルールを「面倒だから」「やりづらいから」と戻すことを前提で動く人が多かった(挑戦しようとしない)。入居者から入居者の暴言を肯定、「認知症だから」とスルーすることが許容できなかった。

  →決定的な価値観の違いからくる不信感の増強。人間関係をリセットしたい。

 ・もう介護をやめたい → まえまえから、この仕事は適職じゃないとわかっていた(性格上の問題)。人間一人一人と密接な関係を築かなくてはいけないのが、そのうえで、信念を曲げたり人間として許せない客を見なくてはいけないのが苦痛だから。

  →長くなるので割愛するけど、とにかく「介護」がもう嫌い

 ・認知症患者とかかわりたくない → もう嫌

 ・ピンチヒッター → 前提として「休む時は休むべき(体調不良ならしょうがないから代わりに出勤する)」「家族を優先してほしい(家族に何かあったなら早く帰ってあげて欲しいし、落ち着くまで休んで欲しい、代わりに出るから)」という強い信念があった。私は独り身だし、体も丈夫でコロナ罹患もなかた。休むべき人がいたら、私が率先して出勤することに、なんも不満もなかったし当然だと思っていた。

  →秋口から立て続いてクラスタ発生(職員、入居者込み)。家庭持ちの人は家族が発熱しただけでも休まなくてはいけないし、発熱後は行政に従って数日~一か月の出勤停止。それはもう激務だった。

  →精神疲労と相まって、冬には限界が来た。なんで私は元気なんだろう、って私だって休みたいって思うようになった。

  →ピンチヒッターのない、シフト制ではない仕事に移りたい。

 ・猫 → めちゃくちゃなシフトが増え、不安定なお留守番が増えた。元から日によって時間が違ったけど、それがさらに乱れてしまった。タイマーでご飯を上げるのは、一日一食まで、というルールすら守ってあげられなくなった。休みの日も、放心していることが多く、遊んであげられない日があった。

  →安定した生活を送らせてあげたい。出勤時間の統一された、シフトせいじゃない仕事に就きたい。

 ・死にたくなっちゃう → 精神的にも肉体的にも限界。もう認知症を受け入れなくなった状態でこの仕事をしていたら、きっとすぐに精神の限界は来る。というか、そもそも精神的に安定する見込みがない。事実、ODから4か月たった今、あんなに苦しかったのに「今度こそ」と思った日があった。

  →精神的に安定できる仕事に移るりたい。その前にしっかり休みたい。

 

〇結論をだす

 結局まとまりのないww

 でもわかったことがあるので、まとめ。

 ・人間関係のリセット ・介護職からの脱却(仕事が嫌いになった+シフト制をやめたい) ・しっかりと休みたい

 が、転職したい・・・というか、退職したい理由でしょうか。

 人間関係は退職して職場が変わればできる。しっかりとした休みは、有り余る有休を消化するため、一か月ちょいの休暇がもらえる。介護職から転職したい。

 

 「不信感のある人間関係と、嫌いになった介護の仕事から離れるため転職したい。そして、有休消化期間を利用して療養したい」

 以上のことが私が転職する理由になります。

 なんか、遠回りしたけど、もともと考えていたことから動いてないな。

 結局、介護やめたい休みたい、ってことよね。

 

 大事なことも見えてきたので記録。

 「シフト制の仕事はやめたい」「猫としっかり関わりたい」「しっかり休みたい」

 

 猫大事。

 

〇転職してどうなりたいのか

 これって結構大事なこと。

 でも、現状として「介護をやめる」ことしか決めてない。

 

 さっきまとめた考えを「どうなりたいのか」に置き換える。

 「介護の仕事をやめて、別の仕事に挑戦したい」

 「出勤時間(家にいる時間)を安定させ、猫としっかり関わり合いながら休みを取りたい」

 この二つは転職して「別の仕事をする人になりたい」「シフトせいじゃない仕事で、猫との安定した生活を送れるようになりたい」ということだ。

 うん、違いない。

 

 それにプラスして、いろいろ考えてみよう。

 まず、「どんな生活を送りたいのか」。

 ・死にたくならない生活がしたい。→精神的にストレスがない仕事。

 ・金銭的に余裕がある生活がしたい。→今より収入が落ちるのは仕方がないが、急落しない仕事に就きたい。

 あれ、変わらんw

 ただ最近は、やりがいより安定を求めている気がする。

 精神的に病まない仕事がいいとか、家にいる時間を安定させたいとか。

 求人票を見てる時も、給料の次には「固定残業代」「平均残業時間」を確認してる。残業したくない。(今の職場は給料の20%が残業代)

 

 「どんな自分になりたいのか」

 これがびっくりするほど思い浮かばない。

 どんな自分、と言われましても。という感じである。

 強いて言うなら「他人に迷惑をかけず、精神的にも経済的にも自立した人間」になりたい。いや、すでに達成できてるのだが。

 他人には迷惑かけてない(OD時を除く)し、精神的にも経済的にも自立してる。というか、依存する先がない。友達いないし、恋人いらないし。家族とも距離を置きたくて一人暮らしを始めてるので。

 強いて言うなら猫。私は猫に依存している。猫は正義、うちの子最強。

 性格は変えようと思っていない。

 ああ、一つ思い浮かぶのは「やりたいことを必死にできる人間」に憧れがある、ということかな。

 私は昔から受動的かつ諦め癖があり、アニメや漫画など人が作ったものを応援するのは好きだったけれど、自分で始めたことに関しては1の挫折であきらめるようにしていた。自分で何かを創り上げるとか、何か目標を成し遂げるとか、そういうのが苦手だった。

 一番続いたのはランニング。猫を養い始めるまでは週に2回は走っていた。猫との時間を優先してやめてしまったけど、中学時代から好きで自主的に走っていた。ランニングマシーンが設置できる環境になったらまたやりたいな。

 私は中学時代は陸上部だったけど常にびりっけつで成績は悪かった。

 なのに、高校でバイト三昧の中、自主的にランニングをするようになってからは、学校のマラソン大会で11位になるくらい成績が伸びた。(3学年合同)

 誰かと競い、管理されてやることより、自己満足で自主的にやる方が向いているのだと気が付いたきっかけになった。

 競い合いが嫌い。自分のペースで、趣味としてやりたい。誰かを下にみるのも、上にあこがれて頑張るのも嫌い。みんな平等かつ、無関心が一番心地いい。

 話がそれてしまったけど、簡単に言うと、「私は今まで何かに夢中になったことがないし、必死になったこともない」のである。

 何事もマイペース。無理だと思ったらすぐやめる。誰にも評価されたくない。

 なので、何かを必死になって極めたり継続できたことがない。いい評価も悪い評価もされたくないので、やったことを他人に見せることもしなかった。(イラストや小説など)

 自分にはできないことをできる人、やる人に憧れはある。

 けど、憧れてはいるけど「やりたいことを必死にできる人」になりたいとは思わないかな・・・。

 

 結論、私は転職して「猫と一緒に、精神的にも経済的にも安定した生活を送れるようになりたい」と思います。

 結局大雑把wwwww

 なにも、なにも変わらんww

 

 結局中身カラッポの人間、ってことよね。

 安定大事、猫大事、死ななければよい。自分の人生にこだわりなし。

 どうしたものかね。

 

 次は「結局何の仕事に転職するんだ」について考えようと思います。

 なんか、まだ無駄に終わる気がする。

介護職を辞める理由 虐待しそうになる恐怖

 今回は、私が介護の仕事をしていて「初めて暴力を振るいそうになって時の話」をしようと思います。

 プライバシーの観点から名前や事例を少し変更しています。

 また、「もう介護職を嫌いになった」私の主観、感情が強く半面されています。

 ご理解よろしくお願いします。

 

〇条件

 グループホームでの夜勤の話(1ユニットに1名夜勤者)

 入居者A : 男性 不眠、暴力(+)声上げ(+)、立ち上がる=転ぶ、転倒と転落を繰り返している(車いすからもベッドからも)

 他の入居者 :Bさん・起きると立つ、付き添い必須の歩行器使用。

        Cさん・一度起きると寝ない。職員を追いかけ続け、他者の居室にまで入ってくる。

        他にも、トイレ支援、おむつ交換が必要な方4名

 驚くかもしれないが、センサーの類は一切なかった。Bさんのみ、体動センサー。

 

〇私が入居者に暴力を振るいそうになった話

 まず、虐待について。

 主に、暴力や身体拘束などの「身体的虐待」。お金を勝手に使う、使わせない「経済的虐待」。性的な行為を強要する、羞恥心に配慮しない対応をする「性的虐待」などがある。

 その中でも、私たち介護士が苦しむのが「身体拘束」だと思う。

 この身体拘束禁止の取り組みは、間違いなく介護士の首を絞めている。

 転倒しないように車いすにベルトを着ける。ベッドから落ちないように柵で囲う。

 こういった、入居者を護るための行為も、すぐに「虐待だ」と言われてしまうのが現状。事実、拘束しているのだから虐待だし、それをしなくてもいいように対策をとるのも介護士の仕事だろう。

 たけど、「拘束しないように転倒転落を防ぐ」のには限度がある。

 そして、その限度の中で、他の入居者を護りながら転倒転落を防ぐことは、本当に難しい。

 

 今回の事例は「拘束をしないことを守り続けた結果」私が限界を迎えてしまったことによる、暴力未遂。

 入居者Aさんは、日中は穏やかだが、夜に豹変する。

 ほとんど一切寝ず、ベッドから起き上がり、臥床していただくと大声を上げて、時には職員を殴る。

 寝ないのなら、と車いすで食堂に来ていただくと、やっぱり立ち上がる。そして落ちる。

 落ちれば始末書だ。

 たとえ、転倒リスクの高いBさんの対応をしていても、他の入居者のおむつを取り替えていても。転倒したら始末書。最悪家族に謝罪。

 Aさんの転倒を防がなければならない。しかし、Bさんの転倒も防がなくてはならないし、他の方のおむつを濡れたまま放置するわけにもいかない。

 Aさんだけ守ればいいのなら、他の方は朝まで尿でびっしょりでいい。Bさんも転んでいい。Cさんが全員の部屋を開け放って不法侵入しても放っておけばいい。

 だけど、そういうわけにはいかない。

 Bさんだって転んだら一大事。始末書も書く、大切にしてる家族に謝罪もする。骨折すれば救急車も呼ぶ。

 Cさんが他の人の部屋に入ったら、その部屋の人は驚くだろう。不法侵入だし、相手のプライバシーの侵害にもなる。止めないといけない。

 Bさんの手伝いをし、転ぶことなくベッドに戻ることができたとして、Aさんが転んだら意味がない。

 Bさんのセンサーが鳴ったら、私はAさんに怒鳴られて殴られて、それでもベッドに横になっていただいて、全力で走ってBさんのトイレの手伝いをして、また走ってAさんの様子を見に行って、今度はBさんのまつトイレまで全速力で走って。

 走って走って、殴られて怒鳴られて。明け方にはCさんが起きてくる。

 おむつ交換をしている部屋にCさんが入ってくる。便塗れのティッシュを汗だくの私に押し付けてくる。下半身丸出しの方の部屋にいてもらうわけにもいかないから、廊下に出ていただけば「いじわる!!」と怒鳴られ、泣かれる。

 そして、物音がしたら、下半身丸出しの人を放って、またAさんの部屋へ走っていく。後ろではもちろんCさんが鳴いている。何だったら、走ろうとする私の腕を掴んで、話してもらえばまた「ばか!!!」と。

 これが月に5回。

 本当に、本当にしんどかった。

 日中はとても穏やかで、「昼Aさんはかわいい」なんて夢中の職員もいた。でも、「夜Aさんは怖い」と夜勤を減らした職員もいる。

 結局、夜専の職員と私がほとんど夜勤を回すことになる。

 そして、私は限界が来た。

 やっぱりその日はAさんが寝なかった。

 怒鳴られた、殴られた。それでも頑張って誰も怪我しないようにって、走って走って、ごめんねって言いながら無理矢理寝かせて。

 臥床させようとした私を、Aさんは思いっきり殴った。

 私も反射的に腕を振り上げて、ハッとした。

「いま、殴ろうとした」

 この時のことを詳しくは覚えていない。毎日同じような繰り返しだったから。

 でも、この時の恐怖心をずっと覚えている。

 人を殴ろうとした。

 認知症で、何もわからなくて、好きで夜通し起きているわけでもない。自分がどうして相手を殴るのか、なんで寝かせようとされているのか。朝も昼もわからない。

 認知症で優しくしなくてはいけない相手を、私は殴ろうとした。

 その恐怖を、反射的に人を殴ることができる人間だった、それに気が付いた時の恐怖を覚えている。

 それ以来、Aさんの対応をするのが怖くなった私は、ベッドの下にAさんを下ろして対応するようになった。

 今思えば間違ってなかったけど、その時は申し訳なく思っていて、誰にも言えず、朝には何事もなかったかのように車いすに座ってもらっていた。

 

 これを機に、「自分は介護の仕事に向いていない」「また、今度こそ殴ってしまったらどうしよう」と思うようになり、介護職を辞めたいと考えた。

 施設長へ退職の意思を伝え、最初の転職活動を始めることになる。

 

〇身体拘束

 これは私がおこした事件ではないが、「介護職への嫌悪」の第一歩になった事案。

 引き続きAさんの話だ。

 

 私がAさんを床に寝かせるようになったころ、その事件は起きた。

 正直、満を持してというか、「そうだよね、むしろ皆今まで頑張ったよね」という内容だ。

 夜専の職員がAさんを車いすに拘束した、と話をきいた。

 車いすに座らせ、腰と腕をタオルで固定していたのを、別ユニットの職員が発見したとのこと。

 私の素直な感想は「見られるなんて災難だったな」「まあ、そうするよね。私は勇気がなかっただけ」である。

 それぐらい、Aさんの対応は過酷だった。

 幸い、夜専の職員は始末書で済んだ。

 Aさんが原因の過酷な状況は、施設長も他の職員も理解していたからだ。

 だが、法律はそれを許さない。

 たとえ本人を護るため、他の入居者の対応をするためであっても、拘束は禁じられており、発見され訴えられれば裁判だってあり得る。

 この時は施設内で処理された。夜専職員は私の後に退職したそうだが。

 

 この事例をきっかけに、私の中で「介護士は守ってもらえない」という不安感は生まれてしまったわけである。

 あれだけ必死に対応して、誰も怪我無く夜を過ごしたのに。

 拘束してはいけない、転ばせてもいけない。骨折したら謝罪、拘束しても謝罪。

 じゃあ、どうすればよかったんだろう。

 そんなことを思いながら、私は退職した。

 

 

〇今だから思いつく対処法

 まず、前の職場は職員の教育が不十分だった。一つのアクシデントに対して、上っ面の対策を立てるだけ。

 それから、フォロー体制も悪かった。

 実際、私もあれほどしんどい、辛いと言っていたのに、退職するまで気にかけてもらえていなかったのだ。

 

 私が考える対応策

  • 夜間Aさんが寝ない場合、別ユニットに応援を頼み、他入居者のパッド交換などを集中して行える時間を作ってもらう。
  • 布団やマットレスを用意しAさんを床対応に統一(こまめな巡視を行う)。起き上がっても転落はしないため、怪我のリスクがなくなる。その分、他の方の対応に余裕ができる。
  • ご家族へありのままの現状を報告し、転倒転落のリスクを承知していただく。そのうえで、実施する対応策を報告。必要であれば拘束に近い対応をすることも伝える。(拘束は禁止されていることも伝える)

 

 一番は、施設全体に理解してもらうことが大切。

 もし貸したら、自分のユニットは落ち着いてるから、と声をかけてもらえるかもしれない。見方がいる、頼っていい、その事実だけで精神的重圧は大分違うのだ。

 そして、心に余裕ができたら、激務の中でも見えるものが変わってくる。

 それこそ、「この間声をかけてくれたから、内線でヘルプを呼んでもいいかな」と思えたかもしれない。

 二個目は「寝ないことが前提で、転倒転落を防ぐことに注力する」考え。

 ベッドだから転倒転落のリスクがある。なので、最初から転んだ状態、床に寝た状態で過ごしていただく。

 Aさんの場合は「自立での床からの立ち上がり」ができなかったので、とりあえず転ばない。怪我のリスクもない。

 同時にAさんの訴え(トイレなど)もきちんと拾えるよう、巡視の回数を増やして対応する。もしかしたら立てるかもしれないし。

 そして最後に、家族にも理解していただく。

 これは転ばせてしまうことを前提にしているが、万が一の時を考えると効果的だ。

 床対応にするにも、家族に報告と了承の獲得はしないといけない。

 何も知らないで急に「いつも寝なくて、ついに転んじゃいました」「実は床で寝てるんです」と言われれば、それはどんな家族だって怒るだろう。不信感も生まれる。

 前もって伝えておくことで、「そういえば夜寝ないから転ぶかもしれないって言ってたな」「そうなのか、じゃあ床で寝るのも仕方がないか」と家族も心構えができる。

 介護の仕事をするうえで、家族との連携は非情に重要な要素になのだ。信頼関係大事。ほんとに。

 これは介護士だけでなく、施設に家族を預けている方たちにもわかってほしいな、といつも思っている。

転職活動迷走中 現職について

 attention:暗い、面白くない、不快な思いをさせると思う、自分向け

      介護士、福祉系の方は回れ右推奨

 

 なすび

 現職:介護士(特養ケアワーカー)

    介護福祉士資格者

 経歴:一般高校卒業後、7年間介護職を務める(グループホーム→特養)

 年収:450万(残業代、家賃補助、資格手当あり)

 勤務形態:シフト制、夜勤あり(残業・月平均10時間+サビ残いっぱい)

 

〇最初に結論

 もう二度と介護の仕事はしたくない、そう強く思ってる。

 そして、これから進路に悩んでいる人がいたら「介護だけはやめておけ」とはっきり答えられる。

 これを読む前に把握しておいていただきたいことは、「私は介護の仕事に嫌悪感を抱いてしまった、認知症患者を憎んですらいる」ということ。

 そして、少し前までは「認知症患者に優しくできない自分に嫌悪感を抱いていた」ということ。

 

〇前置きという名の弁明

 「介護だけはやめておけ」について。

 間違いなく断言できます。でも、やっぱり例外はある。

 もし、誰かに介護の仕事をしようと思っていると言われたら。

 高齢者にせよ、障害にせよ、「介護という仕事は一生無くならず将来の不安がない仕事だと言われている」「介護という仕事はいずれ誰もが利用する可能性を秘めており、無くなってはいけない仕事である」「介護という仕事は間違いなく誰かを救い、誰かを貴ぶことのできる、尊敬に値する仕事である」という事実は説明したい。

 介護職、福祉職は間違いなく素晴らしい仕事です。この仕事を下にみる人間は地獄に落ちろ。

 この仕事に就くメリットもある。

  • 多くの場合がシフト制であり、平日でも自由に休みが取れる。ホワイト企業なら365日いつでも長期休暇取得可能→閑散期に旅行ができる。
  • 将来的に国からの補助が増え、収入が増える。(現に増えつつある)
  • 堅苦しい社風の施設は少なく、アットホームな職場が多い。
  • 毎日変化があり、企画など楽しいことも多いので、飽きることがない。
  • 服装、髪色が自由なところが多い。(ネイルは危険だし、衛生上難しい)
  • 人の命、心に寄り添いう仕事のため、「人間」について学ぶことができる。
  • 無資格、未経験でも容易に転職できる。

 自由度が高い仕事であり、社会貢献度が高い仕事でもある。

 本気で介護の仕事がやりたい、人の役に立ちたい、そんな人にはしっかりおすすめできる。

 その一方で、

  • 社会人としての自覚が付きにくい。
  • ビジネスマナーが観につかない。
  • 手に職(応用の効く資格)はつかない。
  • 上司と部下がなあなあになりやすい。
  • 客やその家族とも友達感覚に陥りやす。
  • ジョブチェンジが難しい。(ケアマネくらい)

なんてデメリットも思いつく。

 しっかり社会人として自立したい、年を取ったときオフィスワークにしたい、そんな人はやめるべき。

 

 それとは別に、私が「介護という仕事を嫌いになった理由」があるので、弁明なしで記録します。

 

〇私が介護職を辞める理由

●簡単な経緯

 ・前職場にて、入居者へ嫌悪感を抱き、虐待をしそうになった。そのことに恐怖を覚え、転職を決める。

 ↓

 ・退職と並行して転職活動。しかし、未経験で自己肯定力が低く、資格もないため失敗。給料が倍の現施設へ転職。

 ↓

 ・同僚に恵まれ、なんとか介護士として働く。常に「介護やめたい」と思いながら。

 ↓

 ・リーダー問題+同僚との衝突で心がすさむが、何とか乗り越える。

 ↓

 ・2022年3月に新リーダー就任。この人に社会人としていろんなことを教わる。

 ↓

 ・男看護師と新卒Zによりユニット内と看護科が乱れる。(職員への不信感発生)

 ↓

 ・入居者Aと入居者Cにより、ユニット内の業務が過酷になる

  →Aに優しくできない、嫌悪感がある、殴りそうになる。(介護職に対する恐怖心の再来)

 ↓

 ・入居者Bの入居。毎日のように他入居者へ暴言を吐く。それを正当化する。自分はわがまま言い放題。→それを聞くことに精神的ダメージがあり、Bが嫌いになる。

 ・新卒ZがCが原因の鬱になり休職。(激務になり過労、このころから「なんで私が」という気持ちが出てくる)

 ↓

 ・大切にしてきた担当入居者Dに関して、担当看護師と齟齬が発生し始める。他の看護師の態度も高圧的であり、看護科全体への不信感が強くなる。

 ・正月にピンチヒッターで家族の集まりに参加できず、精神疲労限界。

 ↓

 ・Bの暴言悪化。職員はだれも止めないどころか肯定すらする。(職員への不信感あり。このころから「認知症だから」に嫌悪感が)

 ・A対応中、Bより暴言を受ける。もうこの時点で精神疲労は限界。

 ↓

 ・仕事に行きたくない、休みたい気持ちが強くなりOD。

 ↓

 ・開き直って考えるうちに、「認知症だから」「入居者の尊厳を大事に」という言葉に強い違和感と嫌悪感を覚える。

 ↓

 ・じゃあ、私の尊厳は?認知症だったら何でも許されるの?

 

 こんな感じかな。相変わらずまとまりがないので、さらに簡潔に。

 ・虐待しそうになって怖くて逃げる→・逃げられなかったからまた介護をやる→・職員との衝突は乗り越える→・男看護師と新卒Zにより人間嫌い再来→・AとCにより激務化し精神、肉体疲労蓄積(まだ介護嫌いじゃない)→・Aの対応中、虐待しそうになり介護やめたい→・Bによる精神攻撃、それを止めない職員への強い不信感→・Bによる暴言により認知症への嫌悪感→OD☆開き直る→「認知症」「尊厳」という言葉に違和感と嫌悪感を抱く→私の尊厳は?

こんな感じでしょうか。

 結論だけ言うと、虐待しそうで怖いし、職員への不信感はあるし、Bはクソだし、なのに「認知症」「尊厳」という言葉に守られてるし、じゃあ私の尊厳は私が守るよ。

 「入居者に虐待しそうな自分への恐怖心」「価値観の違う職員と高圧的な看護士への不信感」「認知症だから、尊厳を大事に、そんな言葉で守られる認知症患者への嫌悪感」それが、私が介護をやめる理由になるのかな。

 

 次回から、細かい事例を挙げて行こうかな、と思います。

 なんか、転職のために考えをまとめたかったはずが備忘録になってきてしまった。

転職活動迷走中 転職予定を考える

 退職宣言をして早1ヶ月。

 このままではまた異業界転職できず、地獄の日々に戻ってしまう。

 

 ということで、予定を立てます。

 頑張れ私。

 

〇転職予定 暫定

 今、決まっていること。

・4月 退職意思を主任に伝えた。(この時8月にやめるって言ったこと後悔してる)

・5月 退職日、最終出勤日が決まった。

・10月の職業訓練を最終滑り止めとして、それまでの予定を立てる。

・とりあえず、CADの練習をしよう。

・転職エージェントに申し込み済。

 

【転職スケジュール】

 

・5月 転職の方向を定める

    末日にエージェントと面談(転職する業界を決定する)

・6月 1.CAD技術を身に着ける 2.転職活動をする

  • JW-CADを用いて、テキストを見ずに図面がかけるようになる。
  • エージェントとの面談結果によって、応募企業を決める→決まらなければ転職サイトを用いて自分で開拓する。
  • 業務経歴書、自己PRを書く。→自己分析を行う。

・7月 1.退職に向けて引継ぎを行う 2.引き続き転職活動

  • 退職準備
  • 6月中に内定が決まらない→どうして内定が決まらなかったのか、分析する。
  • 内定が決まっている→内定先で必要になる勉強を行う。
  • 月末に最終出勤日。押しのライブに行く。

・8月 1.夏休みを満喫する。 2転職先が決まらなくても、一回休む。

  • 夏休みはしっかり休もう!
  • 訓練学校の見学に行く
  • 内定が取れてたらゆっくり勉強する。(無理しない)
  • 内定が取れてなくても休む!
  • 弁当を作る練習をする。
  • 末日に退社

・9月 1.内定が取れていれば出社 2.決まってなければ転職活動再開

  • 8月までに内定が決まっていれば一日が入職。
  • 決まっていなければ訓練学校に向けて手続きを行う。
  • 弁当を作る癖をつけよう

・10月 訓練学校開始 

 

〇全体的にやること

【6~9月 転職活動】

 ※八月は休み

 1企業応募をする

  A選考落ち→1に戻る B面接へ→2へ

 2面接対策をする

 3面接に行く

  A内定→4へ Bお見送り→なんで落ちたのか分析し1へ

 4美味しいご飯を食べに行く

 5入職に向けて準備をする(勉強、買い物)

 

【6~9月 勉強をする】

 6~7月・・・jwーCADでテキストを見ずに図面を引けるようにする。

 8月必要なら他のCADも勉強する。基本休み。

 9月 A内定が取れていたら職場に順ずる B足りない勉強をする

 

【訓練学校に向けて】

 8月 訓練学校の見学会に行く

 9月 選考面接

 10月 受かれば受講 受からなければ転職活動

 

【自己分析 職務経歴書

 全然できてない

 6月はこっちに当ててもいいかも

 

面接落ちたら一回一回「なんで落ちたのか」を考える。

 ブログに上げるようにしようと思います。その方が考えがまとまる気がする。

 自己分析もブログでやろうと思ってます。キーボード叩いてると思考回路がよく回る。猫にもよく噛まれる。

 合言葉は、「やる気があるうちにやれよ私」です。